運命の舵取りについて
「運命のヒトはいますか?」
「この人は運命の相手ですか?」
「この仕事とは運命の出会いになりますか?」
とかとか。
占いのお仕事やってると、あるあるのこの質問。
でも運命かどうかって、実は今この瞬間にわかるものではない事の方が多いのです。
運命ってものは
何かを選択して、分岐点を迎えて、また選択して
その度に1つ、また1つと何か経験していくことで、
「あの時の分岐点が、今に繋がる運命の瞬間だったんだ!」
と気付いていくものなんじゃないかなぁ、とわたしは思います。
だから、
今この瞬間を大事に出来ないと、今歩んでいる運命にも気付けなくなってしまうから、
鑑定の時は、まずは今この瞬間を大切にしていきましょ、と言うことが多いです。
わかってもらえない時もありますが…笑
その「今この瞬間」、その一瞬には「選択」というものがつきもの。
つまり、選択というものはいつだってどんなものだって運命の瞬間、運命の分かれ道なのです。
例えば、大きなものから小さなものまで選択をする瞬間は常に起こります。
ハンバーグか、パスタか
カードか、現金か
今やるか、後にするか
言おうか、黙ってるか
右にするか、左にするか
こんな感じで、どんな些細なことでも運命の舵取りをしてるのは常に自分なんだよね。
*
ただ
何でも自分で選択できるものなのだけど、それを「わからない」という言葉で一蹴したくなる時もある。
心が弱ってる時ですね。
選択をする事は、すなわち自分に責任を負わせる事でもあるから、その責任の重さに耐えられない時もあります。
荷物重くて立ってられない!みたいな状態です。
確かに、どうなるかなんて誰にもわかんないからね。
補助輪が付いてる方が安全だし安心かもしれません。
でも、わからないから…といつも誰かや何か目に見えない世界に是非を仰ぐのは、
選択すること、つまり自分に責任を負わせることから逃げてしまう状態。
今この瞬間の選択が未来の運命を作っていくのならば
選択から逃げることは即ち、運命からも逃げることになります。
そして運命、選択、責任から逃げ続けると、何言われても「わからない」としか返せなくなっていってしまうのです。
そりゃあ
何が運命かなんて
何を選んだらいいかなんて
そもそも何が選択肢かなんて
自力ではわからなくなりますよね。
大体自分に責任を負えない状態というものは、「傷付くこと」や「悲しくなること」に対して大きな恐怖を感じている時でもあります。
傷付く事に関してはぶっちゃけ正解も不正解も無くて、時には良薬口に苦しで、自分や誰かが痛い思いをしないと掴めない運命もあるものです。
でも、選択をする事自体には「ただそういう選択をした」という事実しか残りませんよ。
もしかしたら、
選択することで傷ついた、傷つけた、ということが起こっても、ある程度仕方ないものだということに気付いてるから、逃げたくなるのかもね。
そういうヒトは、自他問わず傷付くことで受ける痛みのセンサーが強すぎるのかもしれません。
それはそれで別のアプローチが必要ではあるのですが。。
まずは、何でもかんでもわからないと目を瞑らずに、
まずは選べる環境にいくことに専念することも重要。
そして、その中でも選べそうなもの、選んでもいいかなってことを1つ探してみて。
そしたらそれをトレーニングのように繰り返して繰り返して…
そしていつか、何でも自分の意思で選べるようになれたらいいね。
それが、運命の舵取りだと思うのです